ワインは「もう半分」か「まだ半分」か?

見えているものの本質を見極めるのがスピーカーの使命

中身が半分入ったワイングラスを見て「もう半分」だと思えば悲観的な人、「まだ半分」だと思えば楽観的といったお話があります。この質問、スピーチ的には「もう」でも「まだ」でもなく、「単に半分」に見えるのが正解です。

社会の文脈に流されない判断ができるか

ワインが「もう半分しかない」と言われればそう見えるし、「まだ半分ある」と言われればそうも見える。判断に感情が入ると人の視点は揺らぎます。正確な事実は、そこに「ワインが半分入ったグラスがある」です。とんちクイズのような話ですが、文脈に流されず事実を把握することは、スピーチやプレゼンで社会と向き合う人にとっては基本的かつ重要なポイントです。

スピーチやプレゼンの使命は、社会に新しい価値観を提案することです。しかしそのテーマを考える時に、社会に流れる文脈に自分自身も流されていては、物事の本質を見定めることはできません。その状態は、心地よい新幹線に乗っていると自分や乗客が時速200kmで移動していることを忘れるのに似ています。社会がみな同じ方向に動いていると、気付かないことがあるのです。

多くの場合、社会問題は何らかのバイアスや先入観を持って語られます。そのバイアスのもとは、現時点の科学的知見がそうだからという(一見もっともらしい)場合もあれば、何らかの政治的・宗教的背景や、社会的影響力のある人物による場合などがあります。スピーチテーマとして社会問題を考えるには、社会の現象を中立的かつ客観的に捉える視点が必要です。

「中身は本当にワインか?」からの議論

発表者が社会とどう向き合って生きているのか。その一端に新鮮な感動があると、聴衆は目が覚めます。日頃ネットやニュースでよく聞く話題を、日頃よく聞くレベルで語られても、聴衆にとっては「それで?」という印象で終わりです。

冒頭のワインは、本当にワインでしょうか。本質に迫るプレゼンターなら、確かめる必要がありますね。仮に本当にワインだったとして、ソムリエが選んだ1本2万円の高級ワインか、スーパーで買った特売980円のワインか。それによって「まだ半分」「もう半分」を判断する根本的な価値基準も変わるでしょう。

赤ワインと白ワインの中間的特徴を持つものをロゼワインと呼ぶようです。赤く見えれば赤、ピンクはロゼ、色が薄ければ白、で良いでしょうか。プレゼンターがワインから学ぶことは、まだまだ多くありそうです。

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