"English for World Peace." 恩師の添削が教えてくれたこと

英語スピーチを通じて尊ぶべき本質的価値を思い返す

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私を英語スピーチの世界に導いてくださった高校時代の恩師のお話です。スピーチの添削をお願いすると、必ずスピーチのどこかに"English for world peace" [英語は世界平和のために]というフレーズが挿入されて戻されました。私がそれを削除しても、次の添削でまた挿入されます。当時は「なぜまた??」と疑問でしたが、その意味がだんだん理解できるようになってきました。

英語を人生の「武器」にするということ

英語を専門に学ぶ学生にとって、多くの場合、英語は人生を生き抜く「武器」になります。武器といっても、実際に火器を飛ばして攻撃するわけではないので、この表現は比喩(metaphor)です。

私が高校時代に初めて書いたスピーチも、英語という「武器」を使って国際的な挑戦をしたい、といった内容でした。"With this weapon, I will..." [この武器を使って私は…]という文章を書いて提出すると、恩師はそれを"With this peaceful weapon" [この平和的な武器を使って]と修正しました。さらに、そこに書き加えたのが"English for world peace"という言葉でした。

平和であることがあたり前だと感じていた当時の高校生にとって、"English for world peace"という言葉はとても重たく、なんとも言えない居心地の悪さがありました。ゆえにそのフレーズを削除して改訂版を提出したのですが、すると恩師はまた違う場所に"English for world peace"と書き加えたのです。

今思えば「英語を"武器"にして世界で活躍する」という文脈だからこそ、その「"武器"はあくまでも"平和的"利用である」という解釈と「言葉は世界平和に貢献するための道具」というの二つの意味を、"English for world peace"という一つの表現に落とし込む、素晴らしい添削であったと理解できます。

その解釈もよく分からないまま、高校生だった私は恩師のご指導に従い、そのスピーチでコンテストに臨みました。それが弁論大会での初入賞でした。それでも、"English for world peace"が不易の本質を貫くフレーズだったと振り返れるようになったのは、そのずっとずっと後になってからのことです。

何のための英語か、何のためのスピーチか。

くしくも2024年の夏に、私の研究室所属の学生が「城西大学英語スピーチコンテスト」で最優秀賞を受賞します。そのテーマは「世界平和」でした。

同学生のスピーチを添削指導する過程で、自身の高校時代の記憶が蘇ってきました。最優秀賞を受賞した同学生のスピーチタイトルは、"My Words for Peace" [平和へのことば]。このタイトルに決まった背後には、あの"English for world peace"のストーリーがあったわけです。

スピーチにおいては「本質」を問う力が問われます。私の恩師が書き加えた"English for world peace"は、ひとつの本質を端的に言い切る強さがあったことに改めて気づかされます。

多くの学生が英語を学ぶ中、何のために英語を学ぶのか、また何のために英語スピーチやプレゼンテーションに挑戦するのか。その本質的問いに、どれだけの学生が明快に答えられるでしょうか。

私が"English for world peace"の添削を受けてから、早いもので40年近くが経過します。残念なことに、その間、多くの戦争や紛争を見てきました。改めて「英語は世界平和のために」という恩師の言葉を見つめ直す時期が来たのかもしれません。

普遍的な価値には、時を越えて考えさせられる重さがあります。Orator (演説者)には、常に本質を問いかける力が求められていることを忘れてはいけません。当たり前すぎて誰もが言葉にしない想いの中に、実は大切な本質が含まれることもあるはずです。


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