スピーチは原稿を語るのではなく背後にある人々の思いを語るもの
本物の語りは「そのメッセージを伝えるべき背景」から

英語スピーチは、何の視覚補助もなく、自分の声と身体で思いを伝える芸術です。どれだけ練習し、どれだけ上手になっても、いまひとつ心に響かないスピーチになることもあります。一方で、聴き手の心に沁みわたるような語りもあります。それを分けるのは、スピーチの背景にある人々の気持ちを代弁できているかです。
作り物と本物を分ける、背景にいる人々への感情。
原稿作成からデリバリー練習、発声法や発音など、それぞれのパーツに磨きをかけても、スピーカーの「語り」が聴衆の心に届かないことがあります。その時に考え直してもらいたいことは、自分が話しているスピーチの背景やそれに関わっている人々の気持ちに思いを寄せているか、です。
スピーチやプレゼンの発表はどこか技巧的な側面があり、トレーニングや経験で、原稿を「うまく語る」ことができるようになります。それはちょうど、演劇に取り組む役者が舞台経験とともに表現力を獲得するのと同じです。
それでも、全国規模のスピーチコンテストの審査員席に座ってスピーチに耳を傾けると、スピーチが届かないことがあるのです。語りは上手ですし、発音も問題ありません。それでも届かない。その原因として感じる事実は、そのストーリーの背後にある人々の感情に、スピーカー自身が十分に心を寄せられていないことです。
スピーチを支える「実直さ」と「泥臭い正義感」
全国規模の大会に出場するようなスピーカーは、誰もが英語は堪能です。舞台には、それなりに「うまく語る」ことができるスピーカーが揃います。だからこそ、私が審査員をする際は、その言葉や語りの中に「実直な思い」が詰まっているかを探るのです。
ここで言う実直さとは、テーマや題材の当事者に対して心からのリスペクトを持ち、彼らを代表する話者としての使命を負うことです。言い換えれば、他者の痛みを引き受け、その代弁者として立ち続ける「泥臭い正義感」であるともいえます。
スピーチで社会問題を議論するなら、その問題の背後で犠牲になった人やモノがあるはずです。長い歴史の中で、置き去りになってきた価値観もあるでしょう。そうした「陽の当たらないもの」へのスピーカーの感情と、それに実直に向き合う姿勢。そういうものが「本物の語り」の中に出てくるのです。
スピーチを聞いてくれた人の言葉に耳を澄ませること
コンテスト後のリフレクション(反省会)にて、この「本物の語り」の重要性を伝えると、多くの出場者は「自分には関係のない話だ」と言わんばかりの表情を見せます。しかし、技術だけで乗り切ろうとする姿勢のままでは、いつか必ず表現の壁に突き当たり、スピーカーとして深く悩む日が来るのではないかと心配になります。
真剣さや実直さは、舞台に立った瞬間から、スピーカーの声や態度ににじみ出てきます。それを付け焼刃の練習で覆い隠すことはできません。大切な舞台を控えた時こそ、そんな基本を思い返してください。
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